20190120

 

 

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私は自分の実生活と言うのに興味がないので、一日の出来事を人に話したりしない。

でも自分の好きなことに対してはベラベラ話す癖があって、かつてアニメヲタクもどきだった頃の名残が未だにある。

 

中学の頃、美術の教科書に載っていたムンク作の「思春期」、この絵が私の"女"や"ドーター"の原像だと昨日発覚した。元々ムンクの絵の中でも特別好きな絵ではあったけれど確かにそうだ。

それに気付かされたのは昨日、母と本屋さんに行ってムンクの画集を開き、先述したようにベラベラと誰も聞いてもいないのにムンクの絵に対していかにムンクが「いい絵描き」かを母に話していた。その合間に本をペラペラとめくり、いろんな絵を見せていた際にこの「思春期」があらわれた。

母はつかさず「あんた、これになりたかったの?」と言ってきた。私は反射的に「いや違うでしょ」と返したけど、言葉とは裏腹に何か、悟っていた。

 

ああそうだ、私はずっとドーターのままでいたくて、この未熟な身体でいながら女と言うレッテルを張られたこの少女の気持ちが、分かってしまう。10年経った今でもその悲しい感情は無くなっていない。

私ももういい年で、周りもちらほらと結婚や交際してる人が増えてきた。そんな動きある社会を遮断して、自分はもうこれ以上大人になりたくない一念から摂食障害になることを選んでしまったのだ。痩せて、胸も腰回りも骨が出ていればそれを回避できると信じて疑わなかった。

それは達成できたけど克服は未だ難しい。

前よりは心は安定してる。昨日もお昼のマックを普通に食べれた。あとは絵を描くだけ。

 

私はこれからもドーターを描き続けるけれど、

もし異性と交わってしまったら忽ち空想のドーターたちは姿を消してしまうだろう。

 

何を言いたかったのかというと、実は自画像を描いていたんだ。姿形を変えて。