20190227
音楽に救われたせめてもの感謝の気持ちとして、そのタイトルと自分がイメージしたもの絵にしたいと思う。
ニムロッド、スルツェイ、完璧な庭
ピープルは常に最高だけど
今まで知らなかった音楽の世界を初めて知るきっかけとなったピープル(ファミレコリリース時期)の特別感は一生残るだろう。
最近、というか今でも、食や疲労に翻弄され絵を描く時間が設けられてないのだけど死ぬ前にはやり遂げたい。私は毎日どうやって死のうかなと考えている。自死か自然に殺されるかどちらかがいい。
愛への幸福感も死んだ
関わるたびに自分の心が萎びていって逃げたい気持ちでいっぱいになる。ここにいちゃいけない。自分でなんとかしなきゃいけない。このキャパを超えると切る。 多分周囲は知ってる。
影で噂話されてたらこわいな….
ので早く違う職場に移りたい。
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音楽を聴いていても絵を描いていても夢を見ていてもずっと思わざるをえないの、たまならく鬱陶しい
だから実生活は淡白に生きていたいのに
凄まじいんだ力が
自分の病気はかなり余裕があらわれて、以前のように堰を切ったような不安や切迫感はなだらかになったけれど、今度はこっちだ。
成る程、病だ。
複雑すぎて話題にすらしたくないけど
泣いたり裂いたりしてもどうにもならないってことは分かるね自分
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最近の感情の起伏が凄まじい中、昨日は特に苦しくて、切った。
癖付いてしまってる。胸を割きたいくらい何かがいる。頭にもいる。
どん底にいる感覚だったので食欲が無くて過食も嘔吐もしなかった。しなかっただけでも良いと思った。そこらへんにいる人は、それが当然なんだと思うと私はやっぱり腐ってる。
最初は平然とできていたんだけど時間が経つとそれが事実だって言う重みを実感してしまって、さっきまで話しかけたり同じ場所にいたのに急に何も話さなくなったり目を合わせなかったり絶対に近づかないようにしてしまった。
それは何かあったのか、と思われてもしかたない。反省。
でも、私は今後一切自分の話はしないし
話しかけもしない。無意味なことを知ったから。
ここまで苦痛だと死にたさしかない。
前々から25になる前に死のうかなと思ってたからそれも悪くない。宗教の死生観から離れられればの話だけども。
やっぱり絵だったな
こうやって文にして感情を流してるけど
絵に救済を求めていた。 分かるか
私は絵を描くのを楽しくてやってるわけじゃない。呪いと祈りしかない。
日常の繁栄や現代の風刺とかリアリティなんてどうだっていい
末短くよろしく
20190120
私は自分の実生活と言うのに興味がないので、一日の出来事を人に話したりしない。
でも自分の好きなことに対してはベラベラ話す癖があって、かつてアニメヲタクもどきだった頃の名残が未だにある。
中学の頃、美術の教科書に載っていたムンク作の「思春期」、この絵が私の"女"や"ドーター"の原像だと昨日発覚した。元々ムンクの絵の中でも特別好きな絵ではあったけれど確かにそうだ。
それに気付かされたのは昨日、母と本屋さんに行ってムンクの画集を開き、先述したようにベラベラと誰も聞いてもいないのにムンクの絵に対していかにムンクが「いい絵描き」かを母に話していた。その合間に本をペラペラとめくり、いろんな絵を見せていた際にこの「思春期」があらわれた。
母はつかさず「あんた、これになりたかったの?」と言ってきた。私は反射的に「いや違うでしょ」と返したけど、言葉とは裏腹に何か、悟っていた。
ああそうだ、私はずっとドーターのままでいたくて、この未熟な身体でいながら女と言うレッテルを張られたこの少女の気持ちが、分かってしまう。10年経った今でもその悲しい感情は無くなっていない。
私ももういい年で、周りもちらほらと結婚や交際してる人が増えてきた。そんな動きある社会を遮断して、自分はもうこれ以上大人になりたくない一念から摂食障害になることを選んでしまったのだ。痩せて、胸も腰回りも骨が出ていればそれを回避できると信じて疑わなかった。
それは達成できたけど克服は未だ難しい。
前よりは心は安定してる。昨日もお昼のマックを普通に食べれた。あとは絵を描くだけ。
私はこれからもドーターを描き続けるけれど、
もし異性と交わってしまったら忽ち空想のドーターたちは姿を消してしまうだろう。
何を言いたかったのかというと、実は自画像を描いていたんだ。姿形を変えて。
20190116
絵を描いてるときは 楽しい、嬉しいの部類の感情が失せてる。と言うより常にそう。
好きな人間たちと話してるときや、面白いことに遭遇したときはそう思うけど一人の時は死とか人間である辛さとかだけが延々と頭にある。
不安かな 死の先が分からなくて
過ぎていく時間にも 死んでいく人間にも 食べて飾られる動物たちも
愛 早く捨てないと後々耐えきれなくて自滅してしまう
20190108
年始早々ショックが起きた
日が経って悲しいなって思い始めた。
誰にも言えないし言うつもりもないけれど
吐き出す場所がない。自分で解消するしかない。
ここ最近こうでもしないと自分を保てない気がして、ついついやってしまう。
ひたむきに隠して生活をしてる人もいれば、あまり気にしないでいる人もいる。
私は故意に出しはしないけど見えてしまってもあんまり焦ったりしない。
人が何かで自我を保つのと同じで、私もこれで踏ん張ってるんだ。方法が違うだけで何をそんなに毛嫌いされるのか分からない。
それなりにやらないようにはしてるんだけど今回ばかりはもう駄目だと思った。泣きながら絵を描く始末。もう見たくない目の前から消えたい。
絵、どうか救ってほしい
一生描くから お願い
20181231
2018年
自分の行動力の無さ(謙虚とは程遠い)と
意思の弱さに苦しさを感じた一年でした。
夏がピークでほぼ毎日病んでいました。体重、体型のことばかり考えて、何度も丸一日を台無しにした。その代わりとして自分の良しとされるところに達成ができたけどこの後がまた辛くて、維持するのがとてもしんどかったです。
今もまだ続いてます。
人間でいるのが嫌で嫌で、早く風や音楽や光になりたいといつも思う。空の空っぽさが悲しくて、これが人間であるが故の切なさだとするのなら今すぐに飛んでしまいたい。
道路のすぐ横にリードを繋がれて、車が通る度に怯える犬を今朝見て本当に憎さを感じた。
でもその後に寒さを凌ぐために厚手の毛布で子どもを覆う夫婦も見た。陽射しだ
一体どうすればいい?
今が人間である以上、絵を描いていくことでしか自己救済できないだろう。
そんな人生を良くするために来年の目標は完治と、自ら人と関わっていく活動的な一年にしたい。
皆さま 良いお年を。